2014年 04月 21日
生活と制作活動をわける
写真を含めて「制作(創造活動)」をしている時間は、
普段の「生活」からはとても離れている。
生活の価値観からのずれが相当大きい。
私が、写真家として生きていくためには、
生活をどうするかを考えること自体が
とても大事な気がしていて、
芸術というのは、
基本的には経済破壊活動であり、
特に「自分が作りたいものを」なんて考えている
(自己表現としての)制作は、生産性を度外視している。
ただ、その間の「制作ハイ」の状態がすきで、
最高で、4日間寝ないで没頭したことがあるけれど、
最後は、本当に疲れたのか正座で寝ていた。
(寝ていたというより、意識を失った)
とにかく4日間寝ないで制作している状態なんてものは、
ビジネスとして、生産性をあげる仕事をする上では
とてもナンセンスで、費用対効果なんて考えていない。
一方で、芸術としての制作ではなく、
仕事として制作しているものは、
(例えば、WEBサイトの制作は)
どういうデザインが集客力を生むのか、
どういう見出しが購買に繋がるのか、
すべては、資本主義の中での生産性に組み込まれ、
いいデザイン = 売れるデザインである。
でも、それでは”私は”制作している意味を見失ってしまうので、
芸術家としての活動(創造活動)と、
ビジネスマンとしての活動(生活)を、
私はあえて切り離した。
それでもプロとして生きていく気概やプライドは持って
活動をしていくし、切り離したといいつつ、
創造活動で対価はいただくので(納期は長めになってしまうことが多いが)
お客様、クライアントの期待値以上のものをと思い活動している。
少し話題を変えて、
大学時代に、所属大学の学部公式webサイト制作をしていた。
そのときには、圧倒的な制作力や独自性を持っている美大に憧れていたけれど、
美大出身の友人がいうには、美大はお金持ちの家の子がふさわしいとのこと。
(言い方は違うけれど、お前には向かないよ。とのこと)
それは制作のスキルや、芸術性はそれぞれだけれど、
生活が普通(社会)の価値観ではないから、と。
美大の4年には卒業制作があり、友人の周りで就職活動をしている人は少なく、
卒業後、大学院に行く人と、芸術の世界をなんとなく考えている人以外に、
進路が決まっていない人が多かったこと。
社会の荒波や価値観とは、私は関係なく、
私は私の制作がすべてであるという雰囲気。
(そういう人だけではないだろうが、それでも普通とは違っていたとのこと)
それがいいとか、悪いとかではなく、
私は芸術だけを考えて、生活を考えないことはできないし、
そもそもビジネス(生産性を上げること)も好きだから、
やっぱり生活と芸術の切り離しと、共存は、私には必要なんだと思う。
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*これは私の考えであり、世の中の芸術家(写真家)の方々を
評価するわけでも、批判するわけでもありません。
よく、私が写真家として活動していることを伝えると
写真以外の活動をしている時間なんてないだろうと、
四六時中、写真のことを考えている人だけが、
写真家だと批判されることがありますが、
何か写真家で、何が写真家ではないなどの定義を言いたいわけではなく、
これが私の人生なのだから、それでいいと思う。
もっとひどいことだと、腰痛がないと写真家とは言わないとか、
シャッターを押す指に、タコがないと写真家とは言わないとか、
意味不明なことを言われることがありますが、
写真家の人は、写真家とは何かとか、こういう撮影が望ましいとか
後から写真加工をするのは邪道だとか、
そういうことを考えるのが好きなんだと思う。
私は、単純なので
出来上がった写真が素晴らしかったら、それが一番。
と考えているので、基本的にはなんでもアリです。
見ていただいた人に、「いい写真だね」と言われるのが一番だと思っている。
たなかけんじ
by tanaken109
| 2014-04-21 00:01
| 日記